ローズ

最近、大学時代の先輩がYoshizoという名で歌手デビューしました。
シャンソンを歌っています。

動画でローズを歌っているのを見て感動しました。
ベッドミドラーのローズはもちろん知っていましたが、その歌詞の内容まで深く読んだことはありませんでした。
今回、先輩が日本語歌詞で歌っていたので、あらためてじっくり読んでみました。

日本語訳詞は映画監督の高畑勲氏によるもの。
気になった点がひとつ。

I say love, it is a flower, and you, its only seed
愛は花 生命の花 きみは その種子

基本的に訳詞はどう表現しても訳者の自由。
だから高畑氏が元詞にはない「生命の花」と訳しても、むしろそうだと納得します。

一方、個人的にはやはりonlyという言葉を何とか生かして欲しいとも思いました。
ネットを見るとローズはけっこう訳されています。
only seedを「かけがえのない種」と訳している人もいます。

そこで訳詞に挑戦。

only seedで思うのは、聖書のJohn 12:24

Truly, truly, I tell you, unless a kernel of wheat falls to the ground and dies, it remains only a seed; but if it dies, it bears much fruit.
よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。
しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。

あなたの心が傷つくのを恐れ、死ぬのを恐れていたら、あなたは「ただ一粒の種子のままで終わってしまう」可能性のある種子なんですよという意味が言外にあるのではないか。
おそらくアメリカ人ならキリストのこの言葉を意識しているに違いない。
つまり、onlyは「かけがえのない」や「唯一の」ではなく、「ただの・・・に過ぎない」という意味である。

こう考えれば、傷つくのを恐れたり、夢から覚めるのを恐れたり、他者に与えることができず、死を恐れる者は決して生きる意味を知ることがないという後半のフレーズが生きてくる。
なぜならこれらはキリストの教えそのものだからです。

どんな一粒の種にも太陽の記憶がある。
太陽の光、熱という恵みつまり愛をうちに抱いている。
しかし、地面に落ちなければ、つまり死ななければ、春に花を咲かせることはない。
ただ一粒の種子で終わってしまうんですよ。
死を恐れず、世界に向かってこころを開けば、あなたという種はバラという花になり、たくさんの実を結び、豊かな種を世界にもたらすのです。

訳詞すると、

I say love, it is a flower,
わたしは思う、愛は花
and you, its only seed
でもあなたは まだ種のまま

花開くか種のままでいるか、あなた次第なんだけど、
思い出してね、あなたの中にある太陽を
その愛の力でバラになれるのよ
世界を豊かにするバラに

という意味の訳詞でした。(完)

“The Rose”

Some say love, it is a river
that drowns the tender reed.
Some say love, it is a razor
that leaves your soul to bleed.
Some say love, it is a hunger,
an endless aching need.
I say love, it is a flower,
and you its only seed.

It’s the heart afraid of breaking
that never learns to dance.
It’s the dream afraid of waking
that never takes the chance.
It’s the one who won’t be taken,
who cannot seem to give,
and the soul afraid of dyin’
that never learns to live.

When the night has been too lonely
and the road has been to long,
and you think that love is only
for the lucky and the strong,
just remember in the winter
far beneath the bitter snows
lies the seed that with the sun’s love
in the spring becomes the rose.

ハゼの木の実も鳥たちに食べられ死に、たくさんの種が糞として町中にまかれています。

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見て見ぬふりスルー

淡輪では時々、クソガキが改造原付バイクをバリバリ言わせて近所を走っているのが聞こえます。

昨日散歩をしているときにヨットハーバー横の道をクソガキが蠅のようにブンブン言わせながら何度も往復していました。
自分としては初めて遭遇したわけですが、「見て見ぬふりをするのはよくない」という大貫妙子さんの言葉や、先日亡くなられた大学研究室時代の恩師の「君たちには世のために行動するという意識が足らん」という言葉を思い出したこともあり、叱ってやることにしました。

そのクソガキが30mほど先のロータリーを回ってこちらに引き返すタイミングで、道路の真ん中に立って、クソガキに向かって歩きながら大声でコラッと叫ぶと、不敵にもこちらに向かってバイクで突進してきました。
その瞬間、本気で叱らないといけないという愛情に似たものがこみ上げてきました。
来るなら来いと覚悟を決めました。
そう思ったら、チキンゲームです。

お互い寸前で交わした瞬間、肩をつかんで止めようとしましたが、さすがにバイクはスピードと勢いがあり、一瞬触れただけで逃げられました。

相手に交わすつもりがなかったらどうなっていたのか、バカなことをしたかもしれないと、家に帰る道を歩きながら思いましたが、この性格はどうしようもない。

せめてあのクソガキが淡輪のあの辺にはややこしいおっさんがおるから走るのをやめておこうと思ってくれればと願うばかりです。

あいつには無理かもしれんなぁ。(独り言)

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ネコは人間ってバカじゃないと思っているにちがいない。

パット・ブーンのシルバーベル

クリスマスシーズンになると子供のころ、叔父によく聞かされたパット・ブーンのクリスマスソング。
亡くなった叔父が15年くらい前にパット・ブーンのクリスマスソングが聞きたいというので、東京の中古レコード屋を探し回り、手に入れた2枚。とても喜んでくれました。

パット・ブーンのホワイトクリスマスもいいけれど、今はシルバーベルが一番気に入ってます。
クリスマスシーズンの、街を行き交う人々の浮き浮きとした情景が目に浮かびます。
アメリカ時代が懐かしい!

レコード盤録音なので少しノイズが乗っています。

サザエさんと読解力

昨夜、MBSの深夜ラジオで「サザエさん」の主題歌がかかっていました。
はじめて4番まで聞きました。

なぜか最近日本の若者の読解力が落ちているというニュースを思いました。
本を読まないことが原因だと識者は言っているようです。

ほんまかなぁ、自分も若いころは本を読むのが嫌いやったけど、読解力がないと思ったことはないなぁ。
なぜなら漫画や演歌、歌謡曲から人生の基本を学んだのだから。

サザエさんの歌はほとんど風景描写しかありません。
主観的なことばは、「陽気なサザエさん」「元気なサザエさん」「愉快なサザエさん」の3つ。
サザエさんがドラ猫を追いかけたり、草野球をしたり、買い物に出かけたり、そんな風景です。
風景がサザエさんその人を表している。

子供たちは頭の中でサザエさんを想像するのです。
ほんとだ、サザエさんは陽気だ、元気だ、そして愉快だ!
愉快ってこういうことだ!
だから、みんなが笑ってる、お日さまや青空、子犬、夕やけも笑ってるんだ。
お日さまや青空、夕焼けはほんとは笑わないけど、こんなとき笑って見えるんだ。
子供たちは心が見る風景というものを理解するのです。

これが本当の読解力ではないか。
AI(人工知能)ができるような、データを分析して課題に対する解決策を考えるより、もっと高度な人間にしかできない力です。

若者の読解力が落ちているのは、歌、とりわけ子供や若者にもっとも身近だった歌謡曲の凋落が原因と思われます。
かつて歌謡曲は主として風景や物語を描くことで、心情を表現していましたが、いつの間にか日本では鎮魂の歌や応援歌、そして個人の思いを綴った、風景のない歌が主流になってしまった。
それらは単純で主観的なことばが散りばめられ、誰にでも分かるように作られている。
想像力が要らないようにできています。
つまり読解力が不要です。

一方で、こんな歌もありました。
朝ドラ「あさが来た」で使われた「365日の紙飛行機」という歌で、1番の前半しか知らなかったのですが、最後の方のフレーズをホームセンターのBGMで聞いたとき、びっくりしました。

人生は紙飛行機
願い乗せて飛んで行くよ
風の中を力の限り
ただ進むだけ

その距離を競うより どう飛んだか どこを飛んだのか
それが一番大切なんだ
さあ 心のままに
365日

なんて教育的!なんて道徳的!
こんな情けない歌がかつてあったでしょうか。
こんなことを歌にしないと人々に伝わらないということでしょうか。

かつてならこの歌の前半部分で十分人の心に伝わっていたはずです。
後半のフレーズはぶち壊し。

だからかどうかわかりませんが、ドラマでは

人生は紙飛行機
願い乗せて飛んで行くよ
風の中を力の限り
さあ 心のままに

という具合にぶち壊しフレーズをカットしています。
当たり前やろと思うのですが、当たり前がもはや当たり前でない時代になっているという証かもしれません。

若者の読解力を高めるには勉強しなくても容易に身につく、演歌、歌謡曲の復活が急務なのです。

もちろん今日の粗悪品ではなく、質の高い演歌、歌謡曲が。

晩秋?初冬?の淡輪風景

淡輪の秘境の秋景色

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青葉の春も素晴らしいですが、秋も素晴らしい

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静かな山にコゲラの木をつつく音だけが響きます

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ヨットハーバーの猫たち

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1mを超えるサワラを釣り上げた青年。竿ではとても引き寄せることができず、テトラに逃げ込んだサワラを最後は手でつかみ上げていました。分かります。あの竿でこのサイズをだと引き寄せるのは無理でしょう。いいファイトでした!

こんな大きなのが釣れるとは思っていなかった、どうやって持って帰ろうかとうれしい悲鳴を上げていました。

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