サザエさんと読解力

昨夜、MBSの深夜ラジオで「サザエさん」の主題歌がかかっていました。
はじめて4番まで聞きました。

なぜか最近日本の若者の読解力が落ちているというニュースを思いました。
本を読まないことが原因だと識者は言っているようです。

ほんまかなぁ、自分も若いころは本を読むのが嫌いやったけど、読解力がないと思ったことはないなぁ。
なぜなら漫画や演歌、歌謡曲から人生の基本を学んだのだから。

サザエさんの歌はほとんど風景描写しかありません。
主観的なことばは、「陽気なサザエさん」「元気なサザエさん」「愉快なサザエさん」の3つ。
サザエさんがドラ猫を追いかけたり、草野球をしたり、買い物に出かけたり、そんな風景です。
風景がサザエさんその人を表している。

子供たちは頭の中でサザエさんを想像するのです。
ほんとだ、サザエさんは陽気だ、元気だ、そして愉快だ!
愉快ってこういうことだ!
だから、みんなが笑ってる、お日さまや青空、子犬、夕やけも笑ってるんだ。
お日さまや青空、夕焼けはほんとは笑わないけど、こんなとき笑って見えるんだ。
子供たちは心が見る風景というものを理解するのです。

これが本当の読解力ではないか。
AI(人工知能)ができるような、データを分析して課題に対する解決策を考えるより、もっと高度な人間にしかできない力です。

若者の読解力が落ちているのは、歌、とりわけ子供や若者にもっとも身近だった歌謡曲の凋落が原因と思われます。
かつて歌謡曲は主として風景や物語を描くことで、心情を表現していましたが、いつの間にか日本では鎮魂の歌や応援歌、そして個人の思いを綴った、風景のない歌が主流になってしまった。
それらは単純で主観的なことばが散りばめられ、誰にでも分かるように作られている。
想像力が要らないようにできています。
つまり読解力が不要です。

一方で、こんな歌もありました。
朝ドラ「あさが来た」で使われた「365日の紙飛行機」という歌で、1番の前半しか知らなかったのですが、最後の方のフレーズをホームセンターのBGMで聞いたとき、びっくりしました。

人生は紙飛行機
願い乗せて飛んで行くよ
風の中を力の限り
ただ進むだけ

その距離を競うより どう飛んだか どこを飛んだのか
それが一番大切なんだ
さあ 心のままに
365日

なんて教育的!なんて道徳的!
こんな情けない歌がかつてあったでしょうか。
こんなことを歌にしないと人々に伝わらないということでしょうか。

かつてならこの歌の前半部分で十分人の心に伝わっていたはずです。
後半のフレーズはぶち壊し。

だからかどうかわかりませんが、ドラマでは

人生は紙飛行機
願い乗せて飛んで行くよ
風の中を力の限り
さあ 心のままに

という具合にぶち壊しフレーズをカットしています。
当たり前やろと思うのですが、当たり前がもはや当たり前でない時代になっているという証かもしれません。

若者の読解力を高めるには勉強しなくても容易に身につく、演歌、歌謡曲の復活が急務なのです。

もちろん今日の粗悪品ではなく、質の高い演歌、歌謡曲が。