還暦

能も住する所なきを、先づ、花と知るべし
花伝第七 別紙口伝

今まで誕生日のことをブログに書いたのは1回しかありません。
2011年に、ひばりさんのことと、花伝書のことばを引用していました。

5月29日
わたしが52歳の時で、ひばりさんも29日生まれで亡くなったのは52歳の時でした。
「まだまだ鼻たれ小僧です」と書いています。

そして最後にこう書いています。

「花は散らで残りしなり」かどうか、そろそろ明らかになる時がきた。

今読み返すと、明らかになるどころか、そもそも花があったのかも怪しいと感じます。
別紙口伝のことばにあるように、「住する所なき」ゆえに花なのに、過去の経験に安住しながら仕事をしている自分がいる。
そんな人間のどこに花があろうか。

そんなことを考えながら、本日還暦を迎えました。
人生のトラックを1周回り終え、2周目は住することなく走って行こうと思いを新たにしました。

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北海道猛暑

5月26日、各地の最高気温ベスト10すべてが北海道内の観測地点で占められました。(気象庁HPから)

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猛烈な暑さです。佐呂間、帯広、足寄、納沙布、羅臼の気温変化を見てみました。参考に昨年最高気温を出した多治見の変化も載せています。

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面白いのは納沙布と羅臼。一旦上昇してからすぐに下がり、また上昇しています。気温は佐呂間、帯広、足寄の順に約一時間ごとのずれがあります。

北海道中央の山脈を越えた熱く乾いた空気が西から東へ流れたのなら、帯広が最初に上がりそうですが、実際は佐呂間。では北から南へ流れたのかというと、足寄より帯広の方が早く気温が上がっている。183キロ離れた足寄と納沙布は同時期に上がっている。

地域性がよく分からない気温の変化です。(今回見たサンプルが少ない)
熱を帯びた空気の塊は局所的に流れたと考えられます。

いずれにせよ15℃付近から40℃まで25℃も温度変化しているのはすごい。多治見の時は15℃程度です。生きていると不思議なことに遭遇しますね。

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気象庁HPから

再び、「恕」

昨日、六甲山の裏街道を走っていたときのこと。
信号待ちで車が十数台縦列を作っていました。
信号が青になった時、右折待ちしていた車が急に直進車線に入りました。
おそらく右折地点の間違いに気づいて慌てていたのだと思います。
しかし、それが急激でしかも割り込みだったので、割り込まれた車があおり運転をし始めたのでした。わたしの目の前の、小さな子供のいる家族連れのワンボックスカーです。
主人と思われる男は車間距離を詰めてあおるだけでなく、運転席の窓を開け、右手をだらんと出し、前の割り込んだ車に対して威嚇するような手ぶりをしていました。
数百メートル走ったところで再び赤信号になり、割り込んだ車は右手の未舗装の農道へと逃げました。
あおっていた男は中指を突き上げていました。
家族の者、特に子供はどんな思いで父親の行為を見ていたのでしょう。
その後の運転を見ていると、その車はあおっていなくても車間距離が短かめなので、頻繁にブレーキをかけていました。非常に燃費の悪い非効率的な運転です。
いわゆる「いらち」です。
急に割り込んだ方も悪いのですが、あおり運転がいかに危険で愚かな行為か客観的に見ることができました。
昔なら割り込むときには窓を開けて相手に合図や「すみません」と掛け声をかけていたので、相手を怒らせることはなかったと思います。
しかし、最近ではそういった行為はほとんど見られません。

 

不寛容な時代と言われています。
わたしたちは簡単に人を許すことができない。
前のブログで「恕」について述べました。↓
子貢が生涯実践する価値のあることを一言でいうと何ですかと孔子に問うたとき、孔子は
恕だ。自分がして欲しくないことを人に対して行ってはいけない。
と述べました。
恕とは、思いやり いつくしみ 許すという意味。それにしても怒と恕、とても似ているようでまったく意味が異なります。又(手を働かせること)を口(神に誓っておとなしく従うこと)に変えなければならないのです。
「葉隠」に出てくる湛然和尚のことばに、
武士は勇気を表にして、内心には腹の破るる程大慈悲心を持ざれば、家業不立もの也。
(武士は勇気を表に出す一方で、内面では腹の中に収めきれないほどの大慈悲心を持たなければ、家職をまっとうできない)
があり、これも恕に通じるのではないでしょうか。
侍は帯刀を許されているがゆえに、簡単にそれを抜いてはいけないのだという戒めです。
車を運転することを許されているわたしたちは、使い方を誤ると簡単に人を殺めてしまう。
だから、「内心には腹の破るる程大慈悲心を持ざれば、家業不立もの也」なのです。
SNSの普及で、普通の人が簡単に社会に対して意見を発することができるようになりました。わたしも含めて一億総評論家気取りです。
そのほとんどが他人に対する激しい非難の声です。まさに「怒」です。
小林秀雄はこう述べています。
自分と戦う人間の数が減れば、それだけ他人と戦う人の数が殖える
克己するという内的経験を持たない人間の戦う意識は他人へと向かう。
本来、人間は自分と戦うことで成長します。
一流のアスリートはライバルと激しく争っているように見えますが、その実、彼らがもっとも恐れ、戦っているのは怠惰なあるいは思い上がった自分自身です。
他人と戦う経験しかない者のこころは壊れるばかりです。他人を傷つけることが実は自分のこころを傷つけていることに気づいていない。
いじめを行っている生徒たちのこころはすでに病んでいる。
その病を治さない限り、一生美しい風景に出会うことはない。
ネットに他人を非難する声が溢れているということは、それだけ内的経験を持たない人間が増えているということの表れ。不幸な人が多いということでしょう。
あなたもあなた以外の人も幸福な人生をおくるには
「恕」
しかありません!

初夏の生き物たち

さえずりの美しいホオジロ

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負けじとシジュウカラ

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忙しく飛び回ります。

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かわいいエナガ

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エナガは群れをなしてあちこち飛び回ります。

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メジロもかしましい。

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ヒヨドリの子供

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青くないけど、モリアオガエル

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モリアオガエルの卵

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紅白スイレン

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やり直し

昨日まで筑波に出張していました。
今まで千回くらい飛行機に乗っていますが、着陸やり直しは2回しか経験していません。(たぶん)
1回目は関空で、着陸予定の滑走路に飛行機が侵入していたというので、かなりのGで急上昇。2回目は一昨日の羽田空港です。

下図は一昨日の移動経路。東京千葉付近で旋回しているのが分かります。

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これは高度変化図。250mくらいまで下がって、急上昇しています。

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原因は強い横風。一昨日の朝、関東地方は嵐でした。当初、D滑走路に着陸予定が、強い横風で着陸を断念。左に急上昇、旋回し、筑波の方まで飛行してB滑走路に着陸。

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1回目、横風にあおられ、このままではアカン、滑走路からずれる(黄色線)と考え、やや左に舵を切ったけれどうまい具合に行きそうもないので、着陸を断念したと思われます。

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ということで、人生2度目のやり直しを経験した出張でした。
(実際は4、5回くらいやり直ししてますが・・・)

おかず釣り

晩御飯のおかず何しようと迷ったら、ヨットハーバーで釣り。

昨夕の釣りの後、海を見ると貨物船が多く停泊していました。天候の荒れに備えているのでしょうか。

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アジの刺身は甘くて絶品ですが、釣れすぎるとやはり干物にするのが楽です。最近のアジはよく太っているので干物もうまい!

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ハゼノキにぶら下げて干してます。大阪府南部くもりという予報ですが、岬町はお日さんが出ています。

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眼鏡レンズ発祥之地

最近、大阪にかつて眼鏡レンズの一大産地があったことを知りました。
半導体露光装置の開発に携わってきた者として関心を抱かずにはおられませんでしたので、昨日行ってまいりました。

散歩経路の右下の四角付近が田島

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大阪市生野区にある田島という地域に、眼鏡レンズの研磨工場がひしめき合い、最盛期には200を超えたそうです。
田島の眼鏡レンズは田島村の石田太次郎により、1857年(安政4年)に創業されました。彼は幼いころ足に怪我をし、家業を手伝うことができず、丹波の国に赴き、眼鏡レンズの製造技術を習得したのち、田島村に帰り、村の人々にその技術を伝えた。
なぜ丹波の国に眼鏡レンズの製造技術があったのか調べてみましたが、分かりませんでした。丹波の国はよい砥石を産出しているので、鏡や刀の研磨職人が多くいたのかもしれません。

国内だけでなくアジア、欧米諸国にも輸出され、昭和50年には出荷額172億円に達した。
しかし、眼鏡レンズの材料がガラスからプラスティックに変わると、ガラス研磨技術は不要になり急速に工場が減少していく。今では当時の隆盛を伝える景色はほとんどありません。

眼鏡レンズ発祥之地の碑がある田島神社。

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眼鏡レンズ発祥之地の碑DSC_9445

田島は歴史の法則「はじめ成功に導いたものがやがて失敗の原因となる」を見事に体現した町です。イノベーションのジレンマの好例ともいえます。成功が大きければ大きいほど、失敗(没落)の度合いも大きい。

ガラスレンズはお椀の形をした特殊な研磨皿で研磨されます。この特殊な研磨方法が成功のカギで、熟練職人さんしかできないからノウハウを持たない他の地域では難しい。田島がこの特殊な製造技術を独占して、大成功を収めていたのです。
一方、プラスティックレンズは金型があれば、短時間に大量生産できる。当然コストも安い。研磨の職人さんも必要ない。
もの作りの設備はいったん成功し出すと規模を拡大し、その慣性力は相当なものになります。容易に進路を変更できません。しかし、それ以上に慣性力が大きいのは人間のこころ。成功体験した経営者はそれに固執してしまう。職人さんは今まで培ってきた技能を捨て、まったく異なる技能を習得することなどプライドが許さない。結果として、現在の田島の姿となる。

メガネフレームで有名な鯖江はかつて大阪から眼鏡職人を招いて産業を興しました。田島の職人さんだったかもしれません。田島と異なり鯖江は生き残っていますが、地場産業としては縮小傾向にあるようです。金属フレームを得意としますが、世界的にはファッション性に優れるプラスティックフレームに押され気味。
田島はレンズ製造という部品の地場産業ゆえに慣性力が大きく「破壊と創造」ができませんでした。鯖江はメガネフレームという地場産業を超え、個別企業が独自の完成品まで作るようになった点が異なります。だから生き残っている。お客さんはフレームが欲しいわけではなく、自分に似合う完成品としての眼鏡が欲しい。ファッション性があるなら素材を問わないわけです。

田島の町並みを眺めながらこんなことを考えたわけですが、翻ってかつてお家芸だった日本の半導体露光装置は田島の眼鏡レンズのように衰退しました。
半導体メーカーは露光装置が欲しかったのではなく、特殊技能を持たないオペレータが操作しても、半導体を安定して大量に製造できる装置が欲しかったのです。手段は問いません。
なのに工場現場の実態を知らない技術者が上から言われるがままに装置の開発をしていた。これも思考停止の一形態ですね。

田島の町はそんな反省を今一度思い起こさせてくれました。

さいごに、
昨日は12キロ歩きました。コリアタウンや鶴橋の市場はおもしろいです。とはいえ、個人的には今のような派手さのなかったどこか寂し気な30年前の風景の方が好きです。
看板がなく一見普通の長屋で、広間に七輪が並べられ、おいしい焼き肉を食べさせてくれる店がどこにあったか思い出せないのですが、今もあるのかなぁ。

ハゼノキとミツバチ

ハゼノキなんてただ葉っぱが生えているだけと思っていたら、小さな花をちゃんと咲かせているのでした。しかもいっぱい。その花の間をせっせと蜜蜂が行き交いしていました。

この小さな巨人のおかげで受粉が行われています。

すばらしい。

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動画です↓

トレーサビリティ

今、Penelope Fitzgeraldの「The Bookshop」を読んでいます。
Forth Estateというロンドンにある出版社から出された本ですが、読んでいて気づいたことがあります。
それは、いやにインクの乗りが悪いなぁということと、紙質も今まで読んできたペーパーバックと違うということの2点。
そもそもペーパーバックに紙質など望むべくもありませんが、今までと違う。
スキャンして分かるように、不純物が多い。シワもある。

Bookshop
よくよく見ると、FSCのロゴとその横にMIXという文字がありました。

FSC
つまり、この本の紙はFSC(森林管理協議会)という国際的な森林管理の認証を行う協議会の認証を受けたものです。

FSCジャパンのホームページにある「ビジョンとミッション」には次のようなことが書かれています。

FSCは、将来世代の権利や需要を損なうことなく現在の世代の社会的、環境的、経済的な権利や需要を満たすことをビジョン(理念)とし、環境保全の点から見ても適切で、社会的な利益にかない、経済的にも継続可能な森林管理を世界に広めることをミッション(使命)としています。
この「環境」、「社会」、「経済」のバランスはFSCの三本の柱でもあり、大きな特徴になっています。

ForestStewardship Council (森林管理協議会)のStewardshipは、一般的に管理を意味するマネージメント(Management)とは違います。Stewardには執事や給仕という意味がありますが、Stewardshipとは、所有者や支配者としてトップダウンで管理するのではなく、資源を預かるものとして責任をもって管理し、それにより仕える、奉仕するという意味が含まれます。ここには、我々人間は森林や自然の支配者ではなく、自然に仕え、その資源を預かり管理するものであるという哲学が表れています。

MIXは「FSCが認めている適格な原材料(FSC100%、FSCミックス、FSCリサイクル、FSC管理木材、回収原材料)が複数使用されている製品に付けられる」という定義で、FSC100%の材料が70%以上含まれていなければならない。どうもMIXは品質的にはあまりよくないようですが、ペーパーバックとしてはまったく問題ないと思います。

FSC認証を受けた紙や木材などの商品はトレース可能だそうです。つまり、どこの森林から産出されたのかが分かる。ペーパーバックにあるFSCのライセンス番号から得られるのは認証を受けた出版社の情報だけでした。(おそらくここから森林に辿りつけるのだと思いますが、現時点ではどうやって確認するのか分かりません)

Certificate

以前、シーフードワッチについて書きましたが、現代では環境破壊や健康被害につながる、トレースできない商品は消費者に受け入れられない状況になりつつあります。

チリ産の鮭

日本は「おもてなし」を世界に対して売りにしていますが、場合によっては過剰品質の安売り以外の何ものでもなく、タダ働きや長時間労働、精神的疲労といった職場環境の悪化をもたらす。
商品やサービスを生み出す人たちが働く職場環境もトレースできるようになれば、労働者も消費者も気持ちよく社会で生きていけると、ペーパーバックの紙を見て思った次第です。