思った通りの人生

Be careful of your thoughts, for your thoughts become your words.
Be careful of your words, for your words become your deeds.
Be careful of your deeds, for your deeds become your habits.
Be careful of your habits for your habits become your character.
Be careful of your character, for your character becomes your destiny.

マザーテレサの言葉

ネット時代の戒め。マザーテレサの言葉です。

自分の考えに注意を払いなさい。それがあなたの言葉に現れるからです。
自分の言葉に注意を払いなさい。それがあなたの行動となって現れるからです。
自分の行動に注意を払いなさい。それはいつの間にかあなたの癖になってしまうからです。
自分の癖に注意を払いなさい。それがあなたの人格そのものになるからです。
自分の人格に注意を払いなさい。それがあなたの運命を決めるからです。

つまりあなたが何を考えるかで、あなたの人生、運命が決まるのです。
あなたの人生はあなたが思った通りのものになります。つまらないと思えばつまらない人生に。素晴らしいと思えば素晴らしい人生になります。ネットにあふれている言葉を見ていると、つまらない人生を歩んでいる人の多いことよと驚きます。自分で不幸な人生を選択しているのだから仕方がありませんが・・・。

さて、散歩していたらいつの間にか田奈川発電所の煙突が解体されていました。夕陽を撮影するときに景色をぶち壊す存在でしたが、ついになくなりました。かつては岬町をうるおしていた関電の火力発電所。金のあるときに発電所の無くなったときのことを考えて町作りをするのが政治家ですが、現在の町の状況を鑑みると、マザーテレサの言葉からすると、何も考えていなかったのでしょうね。

昨日撮影 解体用のクレーンだけが見えます
煙突のあったころの夕陽
もう一枚ありました。煙突を避けて撮っていたので、煙突写真は極めて少ない。

金星と月

前回は金星が仲間外れになっていたので、今朝の月と金星です。

月の近くを多分人工衛星が通過していました。

月の右側の点が人工衛星
左下に移動している
3時過ぎに撮影した天の川と流れ星

天の川横目に
天のツバメ飛ぶ

 えぴ

マイケル・エルガン

プロレスリング・ノアは24日、7・16日本武道館大会でGHCタッグ王者のマイケル・エルガン、マサ北宮が鈴木秀樹、ティモシー・サッチャーと初防衛戦を行うことを発表した。 

6月25日スポーツ報知記事から

Yahooニュースを見ていたら、こんな記事を見ました。
マイケル・エルガンは前のブログで取り上げたプロレスラー。

マイク・エルガン


アメリカのプロレスWWEに失望し、日本にやってきたカナダ人プロレスラーです。
タッグ王者になっていたとは。
志を持って頑張っている人には声援を送りたくなります。
頑張れマイケル!

惑星直列または集合

今朝午前4時過ぎの空。厳密には惑星直列ではありませんが、空に直線状に並んでいます。残念ながら金星などは屋根で撮影できず。左から月、火星、木星、土星の4惑星が写っています。木星と土星の間には8等星の海王星があるはずなのですが、暗くて写っていません。

ナンプレ

叔父から時々ナンプレの問題がメールで送られてきます。新聞に掲載されている問題だそうです。わたしはナンプレの解き方を知らなかったのでそのままにしていたのですが、これがなかなか解けないという問題が送られてきたので、解法プログラムを組んでみました。すると2秒くらいで解答が得られました。

ネットでもっとも難しい問題を探すと、人にとって難しいものとコンピュータにとって難しいものがあることを知りました。コンピュータは決められた順番に考えていくのに対して、人は埋められた数字のパターンを見ながらあちこち考えていく。まず人にとって難しい問題をプログラムに解かせると、24秒もかかりました。(インタープリター形式の数値計算ソフトなので実行速度は遅い)

左が手書きの問題、右が解答 赤字は認識された数字

プログラムは雑誌や新聞の問題を画像として取り入れて解けるように、文字認識するようにしています。(認識率それほど高くありません。郵便局のシステムはすごい!)

次にコンピュータにとって難しい問題をやってみました。スーパーコンピューターで作成されたそうです。

左が手書きの問題、右が解答

さすがにスーパーコンピューターで作成されただけあって、何と1206秒もかかってしまいました。(気長!)この問題は人間が解くと、50分くらいで解けるそうです。人間、えらい!

さて、ちょっと気まぐれに数字の配置を縦横ひっくり返してみました。(転置といいます)その配置で解いた後、また元通りにひっくり返せば解けたことになります。これはスーパーコンピューターの裏をかく解き方です。すると、2秒以下で解けてしまいました。まんまと裏をかいたわけです。(ちょっとできすぎか?)ちなみに最初の問題を同じようにひっくり返して解くと、950秒もかかってしまいました。ナンプレにはAIを使った解法などもあるようです。

パズルの世界は奥が深いです。

愛の囚人

「タンノイのエジンバラ」という小説を図書館で借りました。たまたま、スピーカーの名前にひかれて借りたのでした。長嶋有氏の作品は初めてです。
短編小説集で最後に「三十歳」という短編があります。

今、ちょうど区切りの時期なのでまとめておこうと考えました。

長嶋有氏の小説には、商品や楽曲、漫画など実名で登場します。
この短編にも「ドカベン」や「パルプ・フィクション」「セリヌンティウス」「ロンドンブーツ」「漂流教室」などなどが出てくる。

ところが「ラブプリズナー(愛の囚人)」が60年代の曲と主人公秋子が説明する場面で、「ん?そんな曲あったっけ?」とネットで調べてもない。
実在していない曲をわざわざ話の中に持ち込んでいる。

実はこの「愛の囚人」がこの短編の主題だと思っています。ラストシーンをMindMapにまとめてみました。まず小説を読んでから以下を見た方がいいかもしれません。

題名
構成
ラストシーンの構成 母親は脳の障害で家族を認識できない。施設にいる
1行目
2行目
3行目
3行目詳細
4行目
5行目
6行目
ラスト
ラスト詳細

母親は同じ性の娘に自分を投影しやすいので、我慢している自分を娘にも同じように強いる。息子に投影することもあります。そんなことをしてはいけません、ちゃんとしなさい、あなたのためを思って言っているのよと。こどもはその禁止命令を一生背負うことになります。育ててくれたのだから感謝しないといけないという思いと、自分の内面を支配する母親の禁止命令に苦悩する。こどもも親も、まさに「愛の囚人」です。そんな関係性を考えさせてくれる小説です。

タンノイのエジンバラはイギリスの高級スピーカー

淡輪にバンクシー現る?!

散歩していたらこんなの見つけました。淡輪のバンクシーです。

明らかに偽物の筆致ですが、あまり目立たないところにさりげなく描かれ、遊び心があって好きです。
小学校のブランコ。子供のころ、これでバック宙返りしながら飛び降りてました。今の子供はそんな危険なことさせてもらえないんでしょうね。

平和の顔

青空が好きで 花びらが好きで
いつでも笑顔の すてきな人なら
誰でも一緒に 歩いてゆこうよ
きれいな夕日が 輝く小道を

「戦争を知らない子供たち」北山修作詞

先日「戦争は女の顔をしていない」について書きましたが、では「平和の顔」はどんなだろうと考えていました。
それはもちろん「平和ボケした顔」です。
これ以上でもこれ以下でもない。
「平和ボケした顔」をしている人々のいる国は平和です。

「青空が好きで 花びらが好きで いつでも笑顔の すてきな人」の住む国です。

昨日BS NHKでアフリカのザンビアで鯉の養殖を行っている青年海外協力隊の若者の活動を紹介していました。食糧難を解決するためです。
青年海外協力隊員、国際協力NGO職員、海外とりわけ発展途上国に赴任している日本技術者たちの多くは現地の人々に好意的に受け入れられている。尊敬さえされている。
日本人は実に真摯に現地の人々のために仕事をする。

岡本かの子さんの「たしなみ」に通じるものがあります。

たしなみということは、効果如何を考えず、責任として尽すところに価値があります。誰への責任でしょうか。誰への責任でもありません。自分の職分としての責任であります。維新時分の達識の人が、天を相手にすると言った意味です。人に知られず、効果を考えず、深く自分の職分を考えて、その準備を深めて行く。そのことに楽しみを持って行く。これが本当のたしなみであります。故にたしなみという言葉には奥床しさという感じが伴います。

​​​​​岡本かの子「仏教人生読本」から

海外赴任していたとき、しばしば日本人の振る舞いに感じたのはこの「奥床しさ」でした。

そんな彼らの放つ「平和ボケ」ビームが、国際社会における日本の平和に大きく貢献しているのです。
平和活動など微塵もしたことのない、軍備増強ばかりを訴える政治家などまったく彼らの足元にも及ばない。それほどに彼らの草の根的活動は日本の平和に貢献しているのです。

日本に居場所がないと感じる若者はもっと海外に出るべきだと思います。
怖いもの知らずの若さは人生の中でとても貴重で、けっこう何でも突破してくれます。それが成長のあかしでもあり、自信につながる。

青年よ、荒野を目指せ。
「戦争を知らない子供たち」を口ずさみながら武者修行して日本に帰ってこい!

今日の風景

主に散歩風景

近所の家の太陽光パネルの下にイソヒヨドリの巣があります。幼鳥です。

3兄弟の1匹。ヒナは生きるために親からのエサを奪い合います。だから仲が悪いです。
ブルーベリー。昨年は大半をイソヒヨドリにあげました。
網戸に優曇華の花。多分右下のポツンは幼虫。
ハゼの木の実。エサの少ない冬場は鳥のエサとして大活躍。
ヤマボウシ。今年も大量に咲きます。
柿の実。去年は1個しか実らず。
イソヒヨドリの声が聞こえたので、イソヒヨドリの巣か?
古墳の横を走る南海本線
巣作りのために泥を取りに来たツバメたち
優雅です
泥をくわえて巣へ。何回も繰り返していました。
アジサイの季節

こころのソーシャルディスタンス

効率とか経済的とかだけの社会では、人々が擦れ合ってギスギスした雰囲気が充満しています。
こころのソーシャルディスタンスがない。
岡本かの子さんのことばを贈ります。

 大雪が降りました。朝、眼を覚ました秀吉は考えました。「いかに名人、利休でも、こんなときは油断していてまごつくだろう。一つメンタルテストに出かけてやろう」と。
「茶というものは贅沢や遊びにやるものではない。人間同志、互いに持ちまえの和親敬愛の情を表すために使う方便だ。そしてその作法というものは、身を慎しみ心を磨く修業である。人生のあらゆる態度を、この作法の中に切り縮めて研究工夫するのである」。これが茶道の元祖といわれる千利休の茶に対する態度でありました。
・・・・
 秀吉が利休の茶室の門に辿り着いたときは戦場へ臨んだかのような緊張さえ覚えました。そして一人の小姓を通知に側口(わきぐち)へ廻らせたあと、折柄雪も止んで、利休の有名な瀟洒たる庭園も満目白皚々(がいがい)たる下に埋もれて単なる綿の取り散らしにしか過ぎない光景を、門越しに眺めて秀吉はほくそ笑みました。
「これならさすがの名人も風雅な款待(もてなし)が出来ないだろう」

 一方利休は、もうちゃんと起きていました。起きているどころか、炉に炭をつぎ入れ、新しい水の釜をかけて、湯の沸く暇を、炉の前に端座して心を練っておりました。
・・・・・
「雪の早朝、冷えてお饑(ひも)じくあらせられましょう。まず暖かいものなと召食(めしあが)られて、それから」と言った利休は、どこからか乾米の袋を取出して来て、ちょうど沸き上った釜の湯の中に開けました。それから水屋の窓先に実っている柚子を捥ぎ取り、これを二つに割り、柚子の酢を混ぜた味噌を片方ずつの柚子の殻に盛りました。これを菜にし、そして釜で煮えた乾米の湯漬けを秀吉主従に勧めるのでした。秀吉は、その簡素で優雅な行き届いた利休の作法にむしろ呆れ果て、ただただ感嘆を続けつつ、饗応(もてなし)を受けて帰りました。後で秀吉はつくづく言ったそうです。
「あれほどの器量の人間なら、相当大国の領主も務められよう」
・・・・・
 ここで問題になるのは、利休の平常(ふだん)の用意であります。利休はかかることもあろうかと、かねがねさん俵を用意し、乾米を作り、柚子の木を窓近く植えたのであります。正にそれに相違ありません。それですから、万一の時の役に立ったのであります。
 しかし、それだけの用意をしながら、秀吉が雪の朝にとうとう来ずにしまっても利休はちっとも落胆はしなかったでしょう。その用意こそ、いわゆる茶道のたしなみであります。
たしなみということは、効果如何を考えず、責任として尽すところに価値があります。誰への責任でしょうか。誰への責任でもありません。自分の職分としての責任であります。維新時分の達識の人が、天を相手にすると言った意味です。人に知られず、効果を考えず、深く自分の職分を考えて、その準備を深めて行く。そのことに楽しみを持って行く。これが本当のたしなみであります。故にたしなみという言葉には奥床しさという感じが伴います。
 人に知られず、効果に現れずとも、たしなみの深い人には、奥床しさがほのぼのと立騰(あが)るものであります。気配というものは正直なものであります。
 利休の場合を考えるのに、彼のたしなみはまだ他に沢山にあったに違いありません。その沢山のたしなみが、単なるたしなみだけに終ったものがどのくらいあったか知れないでしょう。多くの用意のなかから、たしなみの顕現(あらわ)れる場合は、実に百分率(パーセンテージ)に支配されるようです。
 ある一事についての深いたしなみは、もうそのことの上のたしなみだけでなく、人間上のものになって来ます。その心得はもう一芸のものでなく、諸道に通じます。そして人を感動させます。利休のたしなみのごときも、私たち処世上の心得としてどのくらい貴重な参考になるか知れません。
 利休の茶道の歌に、
 寒熱の地獄を潜る茶柄杓も
  心なければ苦しくもなし
 これ利休が職分の深いたしなみから、人生の悟道(さとり)に入った証拠であります。憂き辛い世の中も、無心で向えば何ともないという妙諦に茶の経験から入ったのであります。ここで無心ということは、ぼんやりとか冷淡になってとかいう意味ではありません。驀直(まっしぐら)に傍目も振らずという意味であります。無心とは「迷いの心なく、ひたすらに」という意味であります。
 柚子味噌というものは、利休のこれが最初だという話ですが、本当かどうか知りません。しかし柚子味噌を喰べるたびに私はこの話を思い出します。

岡本かの子「仏教人生読本」から抜粋
クロモジ茶 こころが落ち着きます