スリランカで知ったこと

昨日まで行われていたアジア陸上競技選手権の結果を見て、ちょっと驚いたこと。
スリランカの選手名が長い!
例えば女子800ⅿで優勝した選手の名前は
MUDIYANSELAGE THARUSHI DILSARA KARUNARATHNA Dissanayaka
で、とても覚えられない。
男子4×400ⅿリレーで優勝したスリランカチームメンバーは
ARUNA DHARSHANA, Singhapurage; MUDIYANSELAGE RAJITHA NERANJAN RAJAKARUNA, Rajakaruna; DEWAGE KAUSHIKA KESHAN PABASARA NIKU, Galabada ; KUMARAGE KALINGA KUMARAGE, Hewa ;
競技会場でどうアナウンスされたのでしょう。

女子800ⅿ いい記録です
これは女子マイルリレー スリランカは名前で5行も使っている 日本は短い

どうも最後の部分は最初の文字だけ大文字になるようですが、これは英語表記なのでスリランカ語ではどうなっているのか興味深いところです。
つまりスリランカ語にも大文字小文字の区別があるのか。

スリランカについて調べると知らなかったことがありました。

第二次大戦中、連合国は日本を分割する案を考えていました。
・北海道・東北 – ソ連占領地域
・関東・中部(福井県を除く)及び三重県付近 – アメリカ占領地域
・四国 – 中華民国占領地域
・中国・九州 – イギリス占領地
・東京 35 区 – 米・中・ソ・英の共同管理
・近畿(三重県を除く)及び福井県 – 中華民国とアメリカの共同管理

国連P.R.I.D.E日本のHPから

1951年サンフランシスコ講和会議において、セイロン(現スリランカ)代表として参加していた J.R.ジャヤワルダナ氏は仏陀のことばを引用してこう演説した。

Hatred ceases not by hatred, but by love

自由と独立した日本を訴え、日本に対する一切の賠償を放棄すると宣言し、会議の流れは“寛大な調和”に変わったそうです。最終的に日本はアメリカによって間接統治されることになり、分割を免れた。

鎌倉大仏を本尊とする高徳院境内にジャヤワルデネ大統領の顕彰碑があります。
そこには「人はただ愛によってのみ憎しみを越えられる。人は憎しみによっては憎しみを越えられない。法句経五」ということばが刻まれている。
仏教学者の中村元博士の解説も記され、パーリ語原文に即した経典の完訳は「実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの息むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である」(「ダンマパダ」五)

敗戦後、日本はスリランカだけでなく、国外の多くの人に助けられている。
それらに報いる方法はただひとつ。
Hatred ceases not by hatred, but by loveをあらゆる国に対して実践することだけです。
今の日本の政治家がジャヤワルダナ氏のような演説を行うことができないのは、教養のなさの表れやろうなぁ。これだけはどうしようもない。

SHOCK DOCTRINE

The best way to recover from helplessness turns out to be helping—having the right to be part of a communal recovery. “Reopening our school says this is a very special community, tied together by more than location but by spirituality, by bloodlines and by a desire to come home,”said the assistant principal of Dr. Martin Luther King Jr. Elementary School in the Lower Ninth Ward of New Orleans.

無力さから立ち直る最善の方法は、手を差し伸べることだ。
それは公共の場を元に戻す一員となる権利を有すること。

「学校を再開させることは、学校というものが、単なる場所以上に、こころのよりどころとしてや、血縁や家に帰りたいという願いによってみんなと結びついた特別な共同体であることを示しています。」ニューオーリンズの下第九区にあるマーチンルーサーキングジュニア小学校の副校長が述べた。

「THE SHOCK DOCTRINE」by Naomi Klein

先日「100分de名著」が、「ショックドクトリン」を取り上げていました。
NHKの解説によると、

「ショック・ドクトリン」。カナダ人ジャーナリストのナオミ・クラインの代表作です。

市場原理主義を唱える経済学者ミルトン・フリードマンは、「真の変革は、危機的状況によってのみ可能となる」と述べました。ナオミ・クラインはこれを「ショック・ドクトリン」と呼び、先進諸国が途上国から富を収奪することを正当化する最も危険な思想とみなします。近年の悪名高い人権侵害は、反民主主義的な体制による残虐行為と見られてきましたが、実は民衆を震え上がらせ抵抗力を奪うために綿密に計画されたものであり、その隙に市場主義改革を断行するのに利用されてきたといいます。

「100分de名著」のホームページから

ナオミ・クライン?どこかで見た名前?ということで思い出したのが、彼女の「NO LOGO」という本でした。2001年に購入して読んだ覚えがあります。
ブランドに世の中が浮かれ騒いでいる中で、なるほどこういう視点もあるのかと感心させられました。500ページ近い大著です。
そんな彼女が市場原理主義に警鐘を鳴らしたのが「ショック・ドクトリン」。
これまた600ページ近い大著です。

地震、原発事故、豪雨、北のミサイル、コロナウィルス、ロシアのウクライナ侵攻などのどさくさに紛れて、日本もまた「ショックドクトリン」に毒され、湯水のように国費が特定の民間企業に注ぎ込まれている。われわれアホな国民は完ぺきな「ショック・ドクトリン」劇をずっと演じています。ずる賢い政治家や役人のシナリオ通りに。政府と特定の企業は一蓮托生の関係にあり、互いに富を築き、長期にわたり安定な状態を目指している。

わたしたちは「ほんとにそれでいいの?」と思わなくなった。
ネットで示される社会の意見がだんだんひとつの方向ばかりに染まっているのをおかしいと思わないので、「自分は正しい、あいつが悪い」と思いこんでしまう。
AIチャットボットの出現がさらに色を単色化させる。

脳みそが単細胞化してイチゼロ、オンオフの思考しかできない。
スイッチが入るとあおり運転のように行きつくところまで行ってしまう。
今は社会の半分くらいがそうなりつつあるような感じを受けます。
そんな演者が増えると、ますますシナリオライターはやりやすくなる。
トランプはそれで大成功した。
彼の太鼓持ちだった元首相もそれにならったし、現首相もちゃんと引き継いでいる。
これまでの経験からわたしたちをホイホイと躍らせる手段をよく知っているのです。
マイナカードなど典型的な例。金をちらつかせるとわたしたちはいとも簡単に釣られる。システムの出来不出来を確かめようともしなかった。

と、ここまで「自分は正しい」と思いこんだ自分が書いていて矛盾を感じているわけですが、一応中島みゆきさんの「Nobody is Right」を口ずさみながら自省しつつ書いてます。

話をショックドクトリンに戻すと、冒頭に示した文章に示されていることは、「NO LOGO」の結論として「CONSUMERISM VERSUS CITIZENSHIP」という題名にある「公民権」が「公共の場を元に戻す一員となる権利(公共社会に生きる人間として存在する権利と言い換えてもいい)」と同じ意味であることを示しています。さらに突っ込んで、危機的状況にある隣人に手を差し伸べることが災害、事件、事故、戦争による恐怖心、SHOCKを前にして感じてしまう無力感を払拭してくれるのだとも述べている。つまりはそれが市場原理主義から身を守る術となるし、地域の象徴である学校という公共空間が日常を取り戻すことは住民にとって大きな励みになる。
ナオミ氏の主張はぶれることなく一貫しています。
個人の自由、自己決定は一瞬のSHOCKで考える間もなくかき消され、政府と資本家がその隙に地域にあったもの(歴史・文化・コミュニティ)を根こそぎにしてさら地にしてしまう。その後は上記の通り国費を使って特定の企業が復興事業を請け負うシナリオになっている。

These are movements that do not seek to start from scratch but rather from scrap, from the rubble that is all around.
これらはゼロから始めるのではなく、むしろそこらへんにある破片や瓦礫から復興を開始するムーブメントだ。

ナオミ氏は瓦礫でも構わないから住民主体で地域を元に戻す活動が重要と説く。
住民が町の復興に携わることは権利なのだ。政府や資本家の勝手にはさせない。
災害や事故、戦争も同様。それにどう対応するかはそこで生活する人々が決める権利を持っている。
忘れずにいようと思います。

ユッコ・シンドローム

NHKラジオで岡田有希子さんの「くちびるNetwork」が坂本龍一氏の作曲であることが紹介されていた。
知らなかった。

マスコミに就職して一年経った1986年4月8日朝の職場に、岡田有希子さんの自殺未遂が速報で流れ、「へぇ、あの娘が何で?」と思っていたら、数時間後に飛び降り自殺したとまた速報が入った。
どうして自殺未遂した彼女を誰も見ていなかったのだろうか、その時の率直な疑問だった。
それまでのアイドルとはちょっと違う女性(少女と言ってもいい)だったという印象が残っている。

その直後から、ユッコ・シンドロームという社会現象が起きる。
その年、少年・少女たちの飛び降り自殺が続いたのだった。
テレビやマスコミは彼女の映像や自殺のことを表に出すのをやめた。

岸田首相を狙った鉄パイプ爆弾事件。
真相はこれから明らかになるかもしれないが、木村隆二容疑者が山上徹也被告の影響を受けたことは間違いないように思う。
ネット時代になると、安倍元総理の銃撃事件や山上被告の事柄を控えることなどできない。むしろ増幅されている。

人の行動は極めて軽いトリガーによって引き起こされるようだ。自分の内部にあって抑圧されていた不満や欲求が、ある人物の行為によっていとも簡単に解放されてしまい、それらを解消するための行為として実行される。
まるで神のお告げのように。
お告げはネットの中で拡散され、潜在的な人々のトリガーを引く。ユッコ・シンドロームの時のように拡散を止めることはもはや不可能。


今の私たちにできることは、このような出来事が起きないように予防的措置をとることだけだ。
貧富の格差が広がっている今、貧困にあえいでいる人をできるだけ少なくするということをリーダーはこの事件を機に明確に宣言すべきなのだ。(少子化も自ずと解消されるだろう)

無知の知

2017年に、前のブログに書いたことを載せます。

昨日、「無知の知」というドキュメンタリー映画の最後の方だけたまたま見たとき、権威ある著名な原子力工学の専門家の発言は極めて腹立たしいものでした。

この映画の監督兼インタビューワーの石田麻也氏が

「政府は原発事故後すぐに原発稼動を再開。放射能汚染で避難を余儀なくされた福島の人たちは自分たちの気持ちを踏みにじるような行為だと非難しています。この非難に対して先生だったらどうお答えしますか?」

と尋ねたところ、生涯を原子力開発に捧げ、信念を持って原発を推進していることを自認するこの専門家は答えました。

「わたしは原子力が資源の少ない日本を救う唯一の方法だという信念を持って原子力開発を推進している。その人たちはどんな信念を持って原子力を非難するのかと問いたい。」

映画の公開された年は2014年。十万人を超える人たちが避難していたころのことです
この原子力工学専門家からすれば、原子炉の型も立地条件も違う他の原発は安全で非難されるに当たらないというのでしょう。

福島原発が事故を起こしたその放射能汚染によって、故郷を追われた人たちにどんな信念を求めるというのでしょうか。
自分たちの未来を破壊した原発が憎い!ただそれだけです。
福島原発事故に関しては、誰も責任を取っていないし、誰も罰せられていない。
避難を余儀なくされた人たちからすれば、原発推進に関わった人間たちが責任を取らない以上、原発そのものに責任を取ってもらうしかないということになる。

想定外の自然災害だからという理由は原発設計には本来ありえないものです。
100%安全でなければならないのが原発なのです。

前にも書きましたが、影響力の計り知れないものはとりあえず使わないというのが「人間の知恵」です。
たとえば、薬品などは病気に対して効果はあるが、何パーセントかの人に対しては副作用があるという臨床結果に基づいて認可されます。
副作用の発生割合が0.01%とか数字として出ているので、影響の度合いがわかっている。
つまり100%安全ではないが、人を救う効果の方が大きいので使いましょうという了解があります。

原発はどうでしょうか。
原発が機械である以上100%安全ではありません。絶対壊れない機械などこの世に存在しません。
じゃあ、薬と同じではないか?
原発は薬より、ずっと安全のように見える。

最新の安全基準に合格した原発は、今回のような大事故を起こす可能性が限りなくゼロに近い、と専門家は言うかもしれません。
残念ながらゼロでない以上、事故は起きるときに起きるのです。(だから避難訓練しています。絶対安全なら避難訓練は不要です)
そしてその影響を、薬のように臨床試験できないので計り知ることができません。
前述したように、このようなときはとりあえず使わないというのが「人間の知恵」です。

ところが政治家や経済人というのは「悪魔の知恵」を持っている。

まず第一に国や電力会社は東京に原発を作らない。
信念を持った権威ある原子力工学の専門家がお墨付きを付けたとしても政治家は首を縦に振らないでしょう。
国が滅んでしまうからです。
東京圏だと避難民は何千万人となり政府は対応しきれない。
政治機能が麻痺してしまう。

その代わりに地方の過疎地に原発を作る。
人口の絶対数が少なければ、100%影響してもその人口だけで済む。
数万人なら許容範囲。
地方には金がないから、ばら撒けば人はうんという。

これが政治家や経済人の持つ「悪魔の知恵」です。

原子力工学の専門家の信念などちんけなもの。
俺には信念がある、非難するお前らに信念はあるのかとえらそうなことを言っても、彼らの推進するものによって弱い人たちのところに原発問題(廃棄物処理など)のしわ寄せが行く仕組みになっています。
このように弱者をさらに傷みつける信念は傲慢そのものであり、今話題の教育勅語精神を子供に叩き込むことを信念とする学校経営者夫婦も傲慢そのものです。
最近、ちんけな信念をひっさげた昭和老人の傲慢さが目立ちます。
日本を不幸な国へと導いてきた老人たちです。

だから今なお避難を余儀なくされている人たちは、もっと叫んでいい。

まだ何も解決してないぞ、責任者出て来い!

3.11当日の朝の東京風景 平和そのものでした
あの日何とか羽田空港に辿り着きましたが、全便キャンセル 電車・モノレールは動いていない、タクシー乗り場は長い行列
国内線ターミナルは人で一杯だったので、できたばかりの国際線ターミナルへ 配布される毛布を求めて長い行列
展望階フロアで一晩を過ごすことに お店の店員さんがみんなにお菓子を配ってくれました 助かりました
翌朝5時過ぎの空港内風景 混乱はまったくありませんでした
ほとんど眠れなかったと思います
3.12の朝日 羽田空港は閉鎖されたので飛行機はほとんど駐機していなかった
新幹線で帰ることにして品川駅へ ホームは人でいっぱいなので降りるのを待つ人々 品川駅は震災当日の夜、なんと人々を寒い駅外に締め出していました 羽田空港の対応と真逆です

一夜を過ごしたフロアには、車いすの障碍者10名ほどが見学に来ていました。帰る術を失った彼らもそこに寝泊まりすることになったのですが、付き添いの人たち数人が飲み水や下の世話など寝ずの番をしていました。震災や戦争で、いわゆる弱者をどうケアするかなど考えもしなかったので、貴重な体験になりました。

不自由大好き、日本人

以前、政府が沖縄の人々に対して札束で頬を叩き、従わせる非道について書いたが、所詮自分にとっては他人事でしかなかった。

今では国民全員が頬を叩かれ、お上に従わされようとしている。自分事になったのだ。

マイナカード。
本来、取得は任意だが、最初はポイントという人参をぶらさげ、それでも言うこと聞かない輩には強制的に取らざるを得ないような策を出してきた。

民主主義社会では議論によって政治を行うことが原則。
しかし、政府は防衛、原発、教育、マイナカードなど議論なしに進めようとしている。
首相のバカの一つ覚えに「丁寧に」という言葉がある。
「丁寧に説明する」など繰り返しているが、やるべきは「丁寧に議論する」こと。説明するはお上からの一方通行でしかない。
これは民主主義ではない。

「同性婚を認めると社会が変わってしまう」という発言はネガティブな発言である。ところがそうではないと弁解する。安倍氏のアンダーコントロール発言以来の詭弁ぶり。
こんな船長では民主主義崩壊だけでなく、国をも危うくする。

ノーベル文学賞作家のスヴェトラーナ・アレクサンドロヴナ・アレクシエーヴィッチ氏が、テレビ番組のインタビューで、ソ連崩壊後もロシア人は慣れ親しんだ不自由を選んだと述べていた。そもそもロシア人は自由の意味も知らなかったのだと。
プーチンやロシアメディアもそんなロシア国民の思いを反映しているに過ぎない。罪深きはロシア国民だと。
カウンターパンチを浴びせられた。

金をばらまいて国民をお上に従わせる政府は、日本国民の思いを反映しているに過ぎない。国民の望んだことだった。
日本国民には自由に政治家を選ぶ権利が憲法で保証されている。
にもかかわらず、日本国民は不自由を選択した。

首相はそれをよく理解しているからこそ、政治の素人である息子を政府の要職につけ、高給を取らしている。
防衛費を増大し、原発を推進し、教育費をばらまいて、マイナカード未取得者に罰を与えることを決めた。
やりたい放題しても国民は文句を言わないことを知っているからだ。
安倍政権時代、日本人はあまりに不自由に慣れすぎた。彼もまたやりたい放題だったが、望んだのは日本国民だった。
先進国でひとり低所得でも文句はなかった。それは安倍政権の支持率の高さが物語っていた。

日本人もロシア人と同類で、不自由が大好き。
大、大、だーいすき!
自分で自分を縛り付けるほどマゾである。

お上に楯突く者に対して、ここまであからさまに罰を受けさせる雰囲気は、SNSの私刑に通じるものを感じる。

山上容疑者

今回の事件で思い出したのは、ハンナ・アーレントの「テーブル」。共に向き合って語り合うテーブルを持てなかった山上容疑者。元首相もこの「テーブル」を持つ事はなかった。政治の消滅。二人ともこの「テーブル」に向き合って座り、語り合うことができればこんな不幸な事件は起きなかったでしょうに。

ハンナ・アーレントとテーブル

国葬

A元首相の国葬について議論が出ています。

A氏の功罪はさておいて、この人物がなぜ政治に関わったのか興味を持ちました。もちろん、祖父、父とも政治家だからというのもあるでしょう。そこで彼の著書「美しい国へ」を図書館で借りて読んでみました。
中身は自説と自慢話ばかりですが、疑問に思っていたことが少しは分かったような気がしました。

A氏について理解できなかったことのひとつに、「李下に冠を正さず」ということばを政治家であるこの男は知らないのかということでした。
本書の中に吉田松陰のことばを引用して、「自分なりに熟慮した結果、自分が間違っていないという信念を抱いたら、断固として前進すべし」と述べている。おそらく自分の考えに合致している人たちがいれば進んで顔を貸そうと考えていたに違いない。
それが森友であり、加計学園であり、統一教会だった。
疑われることがあっても自分は間違ったことをしていないなら進んでやる。これがA氏の姿勢、信念だったと思われます。実行のためなら批判を覚悟にいくらでも李下で冠を正そうという姿勢です。
仮にA氏自身は間違ったことをしていなかったとしても、残念ながら周囲の人間は忖度してそれを通すためにたくさんの間違いを犯した。死者まで出てしまった。
そんなA氏がいなくなると、それにならっていた子分たちはたちまち困ったことになった。そもそも彼らに信念などなかったのですから、答えはしどろもどろになる。
幼児以下のわけのわからないいい訳をする。
幼児以下のお頭しか持たない政治家を増やしたのは、A氏の残した罪と言えるでしょう。

A氏は自分は戦う政治家だと断言していました。
なぜそこまで宣言するのか。
A氏が政治家として頭角を現してから、政治的思想性や哲学を感じたことがありませんでした。民主主義や自由を高らか主張することもなく、世界平和実現のため、先頭に立つということもなかった。

なぜ戦うのか、そもそも何に対して戦っているのか?
本書を読んで感じたのは、世間ではないかということでした。

A氏は1954年生まれで、団塊の世代の後のシラケ世代だと述べています。彼が幼少のころから高校時代にかけて、教育の現場では安保闘争が盛んでした。
学校という世間では日帝・米帝打倒が叫ばれていた。
政治家一族出身のA氏は幼いころから、非難のことばを浴びながら育ったのでしょう。
それはひょっとしたら犯罪者の息子のような日影者扱いだったかもしれません。
本書によると、高校の授業で先生が安保条約を破棄すべきだという話をしたとき、クラスの批判の矛先が自分に向いたのを感じたとあります。
しかし、高校生のA氏は黙っていなかった。先生に安保条約の経済条項について質問したら、顔色が変わり話題を変えたそうです。革新や反権力を訴える人々にうさんくささを感じていたA氏にとってこの先生のうろたえぶりは決定的だった。内容を知らないで批判しているだけじゃないか。
多感な青少年期に周りから迫害を受けると、気の強い子は将来こいつらを見返してやるという強い仕返しのこころが芽生える。
そんな思いを政治家になったA氏はずっと持ち続けていたのではないか。
2015年に首相だったA氏は民主党議員の質疑中に「日教組はどうなんだ」とヤジを飛ばしたのをテレビの国会中継で見たことがあります。首相が質疑中にヤジを飛ばすことがあるんだと驚いたので覚えているのですが、高校時代の経験を考えると、教師には相当恨みがあるのだなと思いました。
日教組をつぶすこと、自衛隊を軍隊にすることは高校時代の恨みを晴らすことだと考えていたに違いありません。

2006年5月に公表された「家族・地域の絆再生」政務官会議プロジェクトチーム(あったかハッピープロジェクト)の「中間とりまとめ」が、SNS上で「少子化の原因を個人に転嫁する国なのか」などと物議を醸していると最近のねとらばニュースにありました。

以下の2点がとりわけ問題視されていました。

 (1)「今日の深刻な少子化の原因の一つとして、過度に経済的な豊かさを求め、個人を優先する風潮があると考えられる。家庭生活よりも職業生活を優先させ、個人が自らの自由や気楽さを望むあまり、生命を継承していくことの大切さへの意識が希薄化」

 (2)「長期的な観点から少子化問題に対応するためには、強制ではなく、経済優先・個人優先の価値観とは異なる新しい価値観に基づき、『結婚して子どもを産み育てることが当たり前と皆が自然に考える社会』を実現することが必要であると考える」

記事は、プロジェクト設立の経緯などを内閣官房に尋ねたが当時の資料がないので分からないという答えだったと書いています。ここでも役人の忖度が感じられますね。

A氏の「美しい国へ」に答えが書いてありました。

従来の少子化対策についての議論を見て感じることは、子どもを育てることの喜び、家族を持つことのすばらしさといった視点が抜け落ちていたのではないか、ということだ。わたしのなかでは、子どもを生み育てることの損得を超えた価値を忘れてはならないという意識がさらに強くなってきている。そこで、官房長官に就任してから、「家族・地域の絆再生」政務官会議PT(プロジェクトチーム)を立ち上げ、大いに議論したうえでとりまとめをおこなうよう指示した。

「美しい国へ」

A氏が主導してプロジェクトを立ち上げ、とりまとめを行ったのです。とりまとめはA氏の意向通りでした。
A氏はまたこう書いています。

 家族のかたちは、理想どおりにはいかない。それでも、「お父さんとお母さんと子どもがいて、おじいちゃんもおばあちゃんも含めてみんな家族だ」という家族観と、そういう家族が仲良く暮らすのがいちばんの幸せだという価値観は、守り続けていくべきだと思う。

「美しい国へ」

本書によると、A氏の父親の両親は生まれたときに離婚し、父親は母を知らずに育った。結局父親の両親は亡くなり、若くして天涯孤独の身となり、その寂しい思いをA氏によく話していたという。
A氏の家族観はそんな経験から来ていると思われます。

A氏は「安全保障」と「社会保障」が自分の使命だと書いています。
上記のように両者とも政治的な思想や哲学から来ているものではなく、極めて私的な経験から来ている。

 わたしが政治家を志したのは、ほかでもない、わたしがこうありたいと願う国をつくるためにこの道を選んだのだ。

「美しい国へ」

他人の意見を聞き入れる気など毛頭ないことが分かります。
それでは政治家になった意味がない。
しかし、世間に対する仕返しは道半ばで終わってしまった。

私的な願いで国作りに関わった人間に国葬など無意味です。
本人も望まないでしょう。

フォンターナの意味

「ちむどんどん」暢子の結婚式で、オーナーがフォンターナという名前の由来を述べていました。
ニーチェのことばから来ていると。

おそらく作者は、「沖縄学の父」伊波普猷(いはふゆう)の琉歌

深く掘れ 己の胸中の泉 (ふかくふれ なっどぅぬ んにうち ぬ いじゅん)
余所たよて水や汲まぬごとに (よすたゆてぃ みずぃや くまぬぐとぅん)

伊波普猷

を意識していたに違いない。

これはまさにニーチェのことば、

汝の立つところを深く掘れ、そこには泉あり

Wo du stehst, grab tief hinein!
Drunten ist die Quelle!

ニーチェ

から来ている。

伊波の琉歌は、周囲の国に翻弄され続けてきた小国沖縄が独り立ちできることを願って作られたのでしょう。泉は生きるのに必要な水を自分で汲むことができることの象徴で、自立を意味します。
沖縄の歴史を知ると、沖縄は日本ではない、沖縄という国だったということがよく分かります。
かつての朝鮮のように日本に侵略され、従属させられた国です。
沖縄は今なお日本の属国でしかない。
中国、台湾と隣り合わせの沖縄、有事には盾となって本土である日本を守る役目を背負う宿命にある。
沖縄から基地がなくなるどころか、有事の最前線、盾としての重要度がますます上がっています。

台湾有事に米軍が参戦すると米軍基地のある沖縄がまず攻撃され、沖縄戦の地獄が再び訪れる。
沖縄には150万人近くの人々が住んでいます。大戦当時の人口は60万人だから倍以上。すぐに本土へ逃げ切れる数ではありません。

このような状況を考えると、伊波普猷の歌の意味が重みを増してきます。

「余所たよて水や汲まぬごとに」

自立した沖縄人による独自の自治というものを模索するしか、日本の属国である限り道はない。
伊波の琉歌を朝のドラマに使わなかったのは、あまりに政治色が強かったからかもしれません。

わたしたちは人間だ

夜明け前、隣家の窓枠の上に何やら黒い塊が見えました。空が徐々に明るくなってくると、ツバメの子供かと思っていたら、みすぼらしく毛の生えたスズメでした。ヒナかと思いましたが、どうやってそこにたどり着いたか分からない。一羽の若い成鳥スズメがやってくると、えさを与えるどころか、突いていました。


ヒナと思しきスズメはじっと耐えているだけ。そのうち、成鳥は行ってしまいました。
望遠レンズでよくよく見ると、ちょっとヒナには見えない。
すると何と羽ばたいて、屋根の上に行ったではありませんか。あんなみすぼらしい羽根で、えっ?と思いました。今度ははっきりその姿を見ることができました。
それは老スズメだったのです。はじめてあんなに年老いた鳥を見ました。
あの若いスズメは、縄張りを荒らしに来たから突いたのでしょうか。
年寄りは早く死んでしまえという感じの行為にも見えました。

最初ヒナかと思いました
若いスズメが来るとエサをねだるどころか、壁に向かってじっとしています
突かれるとじっと耐えていました
よれよれの老スズメだったのです

自然界ではほとんどの生き物が生殖活動を終えると死にます。
子育てや教育に時間のかかるものだけが長生きする。
例えば、象やシャチ、サル、人間です。

スズメはそんな類の生き物ではないので、一般には2年くらいが寿命。(人が飼育すると10年以上生存する場合もある)
それくらい自然界で生きることは厳しい。えさが潤沢にあるわけでもないので、用のないものは早く消えた方が種を永らえるには都合がよい。とはいえ、スズメの生きる環境は悪化する一方で、絶滅危惧種になるかもしれないと言われています。つまり相互に助け合う文化を持たない種は環境変化に弱く、絶滅していく運命にあります。あの若いスズメは老スズメを突いていたというより、自分を突いていたわけです。
スズメに助け合いをしろと言っても無理な話ですが。

今の日本、若い人たちの年収が少なく、結婚どころではなく、ましてや子育てなど考えられない世の中になりつつある。そんなことは何十年も前に予測されていたにも関わらず、国は何もしてこなかった。
かつては若い人たちでさえ、「あんたがそうなったのは自己責任」と危険な目、大変な目にあった者を批判していました。
「若者が今大変な目にあっているのは自己責任」と、あの当時の若者はやはり言っていたでしょうか。実際に自分の身に起きると、誰も自己責任と言いたくないでしょう。自分は何もしていないのだからと。
現実には投票にも行かず、政治に無関心でい続けた結果で、まさに「何もしてこなかったことが自己責任」だった。

今の社会では、何もしないことが憂き目につながります。老人がいい目をしているから若者がつらい目に遭う。だから老人には早く逝ってもらおうと考えるなら、そういう政治家を増やす行動をとればいいのです。
ただし、それはあの老スズメの生きる社会です。助け合う文化のない、環境変化に弱い、絶滅種にまっしぐらの社会です。同様に老人だけがいい目をしている社会も絶滅種まっしぐらの社会です。

わたしたちは人間としての基本に立ち返る必要があると、投票日の今朝、思いました。
相手を傷つけるのではなく、相互に助け合うから人間なのだと。

思った通りの人生

Be careful of your thoughts, for your thoughts become your words.
Be careful of your words, for your words become your deeds.
Be careful of your deeds, for your deeds become your habits.
Be careful of your habits for your habits become your character.
Be careful of your character, for your character becomes your destiny.

マザーテレサの言葉

ネット時代の戒め。マザーテレサの言葉です。

自分の考えに注意を払いなさい。それがあなたの言葉に現れるからです。
自分の言葉に注意を払いなさい。それがあなたの行動となって現れるからです。
自分の行動に注意を払いなさい。それはいつの間にかあなたの癖になってしまうからです。
自分の癖に注意を払いなさい。それがあなたの人格そのものになるからです。
自分の人格に注意を払いなさい。それがあなたの運命を決めるからです。

つまりあなたが何を考えるかで、あなたの人生、運命が決まるのです。
あなたの人生はあなたが思った通りのものになります。つまらないと思えばつまらない人生に。素晴らしいと思えば素晴らしい人生になります。ネットにあふれている言葉を見ていると、つまらない人生を歩んでいる人の多いことよと驚きます。自分で不幸な人生を選択しているのだから仕方がありませんが・・・。

さて、散歩していたらいつの間にか田奈川発電所の煙突が解体されていました。夕陽を撮影するときに景色をぶち壊す存在でしたが、ついになくなりました。かつては岬町をうるおしていた関電の火力発電所。金のあるときに発電所の無くなったときのことを考えて町作りをするのが政治家ですが、現在の町の状況を鑑みると、マザーテレサの言葉からすると、何も考えていなかったのでしょうね。

昨日撮影 解体用のクレーンだけが見えます
煙突のあったころの夕陽
もう一枚ありました。煙突を避けて撮っていたので、煙突写真は極めて少ない。