アイデアが煮詰まってしまったので散歩することにしました。夕方の散歩は久しぶりです。暑くなくていいです。
おまけ 最近の木星と土星。よく見えます。
散歩のおかげでいいアイデアが浮かびました。やっぱ、散歩せにゃあ。
アイデアが煮詰まってしまったので散歩することにしました。夕方の散歩は久しぶりです。暑くなくていいです。
おまけ 最近の木星と土星。よく見えます。
散歩のおかげでいいアイデアが浮かびました。やっぱ、散歩せにゃあ。
アメリカに赴任していた1993年ごろ、公共放送PBSのドキュメンタリーを録画したもの。HIV感染した夫から自身も感染してしまった女性が高校の授業で体験を語っていました。コロナの時代といってもいい現在。このような体験を語ることが収束への地道な一歩かもしれません。
パートナーに対して耳を傾けることが重要ということばが印象的でした。
コロナ感染に無関心な人たちに語りかけるだけでなく、なぜ関心がないのか、耳を傾けない限り、彼らを変えることは難しいのではないでしょうか。
無関心からくる迷惑行動、ネットに氾濫する誹謗中傷、怒りを抑制できずに犯罪を犯す、などなど、毎日ニュースで報道されています。生きる力(教養)を身につけさせるのが教育だと思うのですが、残念なことに日本でこのような授業がほとんどありません。コロナが考えるきっかけになればと願っています。
君たちは厚着なのにこの暑さをしのいでいる。脱帽です。
たまたまネットサーフィン(死語?)していたら、入学半年前の大学新聞に遭遇しました。
諷刺にせ広告も載ってました。
何でも通しの森先生のお言葉がこころに沁みます。
人間であるからには、牛肉を食らっては牛の可憐な眼を想い、酒に酔っては麹カビに糾弾される夢にうなされ、大学に合格しては不合格者を差別したと後めたく、つねにイジイジしていることが、モラルというものではないか。だいいち、つねに割りきれず、なにものかに怯え、日々送っていた方が、人生に影りが多くてオモロイではないか。
・・・
迷わされてはいけない。昂然と胸を張るのは、卑怯者の擬態なのだ。彼らは何を恐れているのか。人間本来のイジケ、つまりは彼ら自身の人間性そのものを恐れているのだ。
こんな先生はもうこの時代にはいないだろうなぁ。いれば救われる者がたくさんいただろうに。森先生のいうモラルを持っていれば、コロナ感染者も、もっと減っていただろうに。
今考えると、その後の生き方、森先生の講義スタイルにちょっとだけ(1%くらい)感化されたかもしれない。
昨日の放送大学、高橋和夫先生の講義の中で、Nina Paleyさんの風刺アニメーションが紹介されていました。
国際政治だけではなく、人間の営みを考えさせられる講義でした。
Nina Paleyさんは風刺画家、アニメータで、ユダヤ系アメリカ人ですが、無神論者です。
テーマ曲としてアンディ・ウィリアムスの「Exodus song」(This land is mine)が流れています。この歌詞はほとんどキリスト教原理主義者といってもよい歌手のパット・ブーンが作詞したもの。最強コンビの歌ですね。
パレスチナを舞台として、「神が与えたもうた地」の歴史的争奪戦を描いています。
Though I am just a man, when you are by my side
With the help of God, I know I can be strong
わたしはただの人間にすぎないが、ついてきたまえ
神の力で、わたしは強くなれるTo make this land our home
Exodus song by Pat Boonから 拙訳
If I must fight, I’ll fight to make this land our own
Until I die, this land is mine.
この地をわが祖国とするため
戦えと言うなら、わたしは戦う
命をささげるまで
この地は神が与えたもうた、わが祖国なのだから
このアニメで最後に正体を現す神がブラックユーモアです。
死神の言ったことを真に受けて、何千年も戦っているなんて愚の骨頂と作者は言っているように思いました。
一方で、この愚かさゆえに人間は人間でいられるのだとも思います。
悩みが生まれ、哲学が生まれる。詩が生まれ、文学が生まれる。あらゆる人文科学、芸術の源が、人間の愚かさです。
その地にしがみつくのも人間、新天地を求めるのも人間。
だから人間。
このところ、ずっと雨の日が続いていますが、2日前(8月18日)はそこそこ晴れていました。そんな日の風景。
一昨日だったかNHKBSで、ディズニーが第二次大戦中、戦争協力プロパガンダのアニメーションをたくさん作っていて、その多くはドナルド・ダックが主人公だったという話をしていました。ミッキーがほとんど出てこないと。出演者の一人が、ウォルト・ディズニーはミッキーを守りたかったのではないかとコメントしていました。(戦争協力者という黒歴史を残したくなかった?)
推測ですが、当時のアメリカ政府は日本人をペストを巻き散らかすネズミだと宣伝していたので、ディズニーはネズミであるミッキーを表舞台に出したくなかったのではないか。つまり日本人と同列に置きたくなかったと思うのです。以下は、前のブログで紹介した当時の日本人像です。
日本人はネズミと同じだから原爆を落としても良心が痛むことはなかった。彼らは決して白人の国(ドイツ)に原爆を落そうとは考えなかったでしょう。今なお、欧米ではアジア人を低く見ている。何年たっても変わらないだろうなぁ。
午後、大阪南部は土砂降りでした。
そんな中、ツバメたちはじっと耐えていました。不死鳥ならぬ雨止鳥です。
毎年今日になると同じ事を書いているのですが、就職した年のあのとき、泊まりでした。
夕方日航機が埼玉・長野付近で墜落したようだということで、現場に向かうことになりました。どこに墜落したか分からない状況でランクルに乗りこみ、秩父へ向かいました。本社から無線の指示で中津川渓谷から三国峠へ。昼間でも走るのがためらわれる悪路をひた走り、峠に辿りついた時は真夜中で、周囲は真っ暗。頭上は満天の星。
昨年も書きましたが、このとき墜落現場から2キロほどしか離れていなかったのでした。まだ何人かの乗客が生存していたはずですが、深い山の中、何も感じることはできませんでした。そのまま走り続け、早朝南相木村に着いたのでした。そして北相木村へ移動し、どうやら上野村の山尾根に墜落したようだということで、ブドウ峠を越えて、群馬県の上野村に行き、そこを基地にしたのでした。
中津川から南相木村への林道、今はかなり走りやすくなっていると思いますが、当時は地元の人しか通らない林道だったと思います。
日航機事故のあと、この世には死ぬこと以外、絶対はないと常に思うようになりました。だから絶対安全でないと・・・の輸入は認めないとか、絶対安全でないと・・・の稼動は認めないとか、能天気な言葉を聞くと嫌気がさします。死ぬこと以外、絶対はないのだから、詳細な条件を付けて・・・の輸入を認めるとか詳細な条件を付けて・・・の稼動を認めるとか、もしくはまったく認めないか、どちらかしかないのです。
この事故から未だに日本人はほとんど何も学んでいないし、事故の風化が進む今、学ぶ機会もなくなっていくことでしょう。大震災しかり。コロナもしかり。
絶対安全はない。(子供たちを交通事故から守ろう)
絶対儲かるもない。(高齢者を詐欺から守ろう)
絶対感染しないもない。(周囲の人々をコロナから守ろう)
だから、確率の勉強をちゃんとしましょう!
12日夜のペルセウス座流星群に備えて、撮影練習しました。
写真 上のWはカシオペア座。左中の屋根からスバルが顔を出し、左下にはオリオン座、右下には木星が見えています。午前4時過ぎのもの。
こちらはインターバル撮影して動画にしたもの
ペルセウス座が十分見える位置から撮影しないとだめですね。寝ぼけた頭でセットしたので、今一つでした。
ということで、過去に撮影した花火を載せます!
以上、コロナをぶっ飛ばせ!の花火でした。