「人の命は我にあり。天にあらず。」は老子のことばで、寿命というのは天(神様)が決めるのではなく、自分のこころがけで決まるのだという意味。
腹ばかり立てたり、欲望のままに生きて、忍耐せず、慎むことをしらない人は、長生きできませんよ、そして長生きしないと本当の人生の楽しみは分らない、だから早死にするな、長生きしなはれと貝原益軒は訴えます。
老子研究家だった加島祥造さんの「受いれる」という詩を思います。
受いれる
すると自分の心が
意外に広いと気づく
心が広いから
受いれるんじゃあないよ
受いれると広がるんだ
まったく心とはそんなものだと思います。
「人の心は我にあり」と言いかえてもいいのではないか。
この我は行動する真の自分です。
ひとは心の赴くままに行動していません。
心は、こうしたい、こうありたいと思っていても、ひとは社会や周囲の目を気にして正反対のことさえする。自分で勝手に心に障壁を作ってしまう。
受いれるとは、その障壁をなくすこと。
すると気付いていなかった自分の心に出会うことができる。
お~、自分という人間はこんなだったんだと。
加島さんは、受いれると心が広がるという。
いやなこともいいこともすべて受いれるぐらい、心は柔軟性、拡張性に富んでいる。
破れるようなやわな作りではないのだと。
凡夫のわたしにはとても勇気のいることですが、加島さんのことばを信じたい。そして長生きして本当の人生の楽しみを知りたいと思います。
秋は確実に来ています。