宮本輝氏の流転の海シリーズ第二巻「地の星」を読み終えました。
おもしろい。やめられない、とまらない。
和歌山大学の図書館には流転シリーズとして宮本輝全集しかなく、しかたなくぶっとい第十二巻を借りたのでした。
もうここまで来ると、次の「血脈の火」に行かざるを得ませんが、宮本輝全集にはありません。
次は泉佐野市立図書館で借りることになるでしょう。
ところで「地の星」の中で熊吾が幼馴染の猪吉にある言葉を教える場面があります。
「中国の寒山の言葉に<老来を待って始めて道を学ぶこと莫れ、古墳多くは是れ少年の人>っちゅうのがある。・・・」
この言葉に興味を覚えたので、寒山の詩を調べてみました。
しかし、見つからない。
よく似た言葉が徒然草四十九段にありました。
老来りて、始めて道を行ぜんと待つことなかれ。古き墳(つか)、多くはこれ少年の人なり。
また、日寛上人(1665-1726)の妙法尼御前御返事文段に、
徒然草の四十九段に云く「速やかにすべき事をゆるくし、ゆるくすべき事をいそぐなり」と。
寒山の頌に云く「老来を待って始めて道を学ぶこと莫れ、古墳多くは是れ少年の人」云云。
日寛上人は兼好法師(1283?-1352?)の徒然草四十九段を読んでいるけれど、寒山の言葉として出している。
無住上人(1227-1312)の「沙石集」に
古人いはく、「莫道老来初学道。古墳多是少年人。(老い来たりて始めて道を学ばんと道(い)ふなかれ。古墳は多くこれ少年の人なり。)」と。
これが日本ではもっとも古そうです。
台湾大学の曹景惠氏の論文「梵舜本『沙石集』巻第五本ノ十一と中国説唱文学」 によると、
「莫待老來方學道。孤墳盡是少年人」という文言は恐らく、遅くても南宋までにすでにある程度中国に広く受容され、流行っていた語句であることが十分に考えられる
とあります。
南宋の時代は1127年-1279年だから、そのころまでに「莫道老来初学道。古墳多是少年人」という言葉は諺のようによく用いられていて、日本にももたらされた。しかし、どこをどう間違ってか、寒山の頌となってしまったらしい。
寒山は唐の時代の伝説的な僧で、南宋時代よりも数百年も古い。それだけありがたみも増えるということか。
宮本輝氏が寒山の言葉として挙げた根拠を知る由もありませんが、実際は寒山の言葉ではないようです。