昨日、天気が良かったので久しぶりにみさき公園まで長い散歩をしました。
是得上人は宝暦13(1763)年、徳本上人と同じ和歌山県日高(ひだか)郡に生まれ、増上寺回向院(ぞうじょうじえこういん)の第十三世となりました。文化元(1803)年、勝尾寺(かつおうじ)で徳本上人の弟子となって諸国を行脚(あんぎゃ)し、各地で念仏を説きました。こうした行脚により、各地で多くの信者や後援者ができ、その業績を偲んで建てられたと考えられます。
是得上人の名号碑は、阪南市の他に泉南市に1基、岬町に6基、和歌山県西部に16基みられるとともに、但馬(たじま)にも36基が確認されています。
是得上人は文化9(1812)年に和歌山市直川(のうがわ)に是得庵を建立し、文政7(1824)年6月21日、大阪市内において61歳で亡くなり、直川に葬られました。
阪南市のHPから
是得上人の字体は非常にインパクトありますね。
今回の散歩で是得上人のことをはじめて知りました。岬町に六基あるそうなので、今後は気をつけながら散歩します。アナグマにも出会えたし、よかった、よかった。