かの木の道の匠

今日の放送大学の「『方丈記』と『徒然草』」の講義の中で、島内裕子さんが徒然草第二十二段の「かの木の道の匠」は源氏物語「帚木」の「雨夜の品定め」に出てくる「木の道の匠」だと述べていました。
「雨夜の品定め」という言葉は知っていますが、源氏物語「帚木」を読んだことがありません。

 よろづのことによそへて思せ。 木の道の匠のよろづの物を心にまかせて 作り出だすも、 臨時のもてあそび物の、その物と跡も定まらぬは、 そばつきさればみたるも、げにかうもしつべかりけりと、時につけつつさまを変へて、今めかしきに目移りてをかしきもあり。
大事として、まことに うるはしき人の調度の飾りとする、定まれるやうある物を難なくし出づることなむ、なほまことの物の上手は、さまことに見え分かれはべる。

源氏物語「帚木」から

「大事として、まことにうるはしき人の調度の飾りとする、定まれるやうある物を難なくし出づることなむ、なほまことの物の上手は、さまことに見え分かれはべる」
大切なのは、真に高貴な方の使う調度の飾りで定まった様式のものを無難に作ることができると、真の名工(木の道の匠)であることが分かることでございます。

定まった様式というのは、本物を見極めることのできる者が長い間使ってきた、これしかないという適切な形、いわゆる用に耐える形と言い換えてもいいのではないか。
無難とは無事(何事もなし)のことであり、用に耐えるものに必須の要件である。ものに間違いがないということ。
兼好さんはこのような名工の作った古い様式の器物が美しいという。
まさに民芸運動を主導した柳宗悦氏の「用の美」です。千年も前にすでに紫式部さんは同じことを考えていたのですね。すごい審美眼です!

驚いたことに、紫式部さんの「雨夜の品定め」はまるで清少納言さんの「枕草子」の文章のように感じました。
国文学者の村井順氏は「源氏物語に及ぼした枕草子の影響」という論文の中で、以下のように書いています。

 首巻「桐壺」に次ぐ、大切なこの巻の冒頭に、作者はどうしてこのように本筋を遊離した事件を掲げたのであろう。この疑問を解決するものは、「枕草子」の模倣!これだと筆者は考える。清少納言のすることぐらいのことは、自分にはわけなく出来る!作者は日記の中で清少納言を攻撃しているのと同じ競争意識で、品定めを書いたのだと筆者は考える。

「源氏物語に及ぼした枕草子の影響」(村井順) から

やはりそうか!
毎週「光る君へ」を楽しみにしているわたしは、紫式部さんに関して少しだけ賢くなったのでした。

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